こんにちは、中国輸入とメールマーケティングを行っている、中野翔太と申します。このたびは、当ブログへのアクセスありがとうございます。
私は、小さい時からサッカーばかりで勉強はせず、大学も行かずに、18歳から5年間、世界を旅する貧乏バックパッカーとなり、ネットビジネスで稼げない期間も経験しましたが、そんな金無し、コネ無しでも、「正しい方法」を理解し、「行動」すれば、月収223万円を稼げる事がわかりました。
一人でも多くの方に、「経済的自由」「時間的自由」を手に入れてもらいたいと思い、ブログをやっています。どんなやつが書いているのか?少しでも興味があれば、私の人生ストーリーをご覧ください。
1分でかわるプロフィール
生まれも育ちも見渡す限り田んぼの佐賀県!1990年4月生まれの24歳、B型。5歳から18歳まで毎日サッカーをやっていて、小学生の時には九州2位、高校生の時には、福岡県のチームとして、全国高校サッカー選手権で、全国大会にも出場しました。(写真はオーストラリアのチームでプレーしてた時です)

趣味は釣りとサーフィンで、13フィートの小型ボートを持つくらいの釣り好きです。サーフィンが好き過ぎて、片道5時間かけて日帰りで宮崎までサーフィンしに行ったり、年に1回バリ島にサーフトリップに行ったりしています。

現在は、日本で株式会社フリームーブメントを設立し、中国輸入とメールマーケティングをメインとし、ネットビジネス全般をやっています。彼女と猫2匹と自由気ままに暮らしています。
美人なこむぎ(チンチラ)

愛嬌がある、不細工キャラのきなこ(スコティッシュ)
中国輸入、メールマーケティング、ネットジビネス、人生、サーフィン、釣り、猫など、どんな事でも構いませんので、気軽にお問い合わせフォームよりメッセージ下さい。
人生ストーリー
1990年4月
佐賀県で誕生、名前の「翔太」には、 -世界で羽ばたく- という意味が込められています。この意味があったからこそ、海外を旅したり、輸入ビジネスだったりと「世界」に目を向けれているのだと思います。名前に感謝です。
小学校、中学校
サッカー大好きだったので、毎日サッカーをやっていました。九州でも、常に上位にいるようなチームだったので、試合をして負けた記憶があまりありません。中学生の頃くらいからホリエモンに憧れるようになり、ビジネスに興味を持ち、オオクワガタの養殖ビジネスで月に10万くらい稼いでいました。そこで貯めた60万円全額を海外の怪しいダイアモンドビジネスに投資して、見事に騙され、全額を失います。この時点で、ビジネスでは楽して稼ぐのではなく、コツコツやる事こそが最も重要だと実感しました。
高校生
学費全額免除のサッカー特待生として、福岡の高校に入れてもらい1年生のうちはよかったのですが、練習嫌い、努力嫌いだったので2年生ごろからサッカー人生に陰りがみえはじめます。1年生の時に下手だった人たちが、毎日の練習でどんどん上手くなっていき、気づいた時には、抜かれていました。今まで、試合に出れずにベンチという事は無かったのですが、ここで初めてベンチという挫折を味わいます。努力して練習する必要があると気づいた時には手遅れで、結局最後の高校サッカー選手権の全国大会には出場できずに、みんなが活躍してテレビに映る姿をベンチから見ていました。この時は、悔しかったのはもちろんですが、5歳からやってきたサッカー人生最後の試合に出られなかった事に対して、両親に申し訳ない気持ちのほうが大きかったです。
ここで、「努力の大切さ」と「強み」の重要さを理解しました。試合に出てたメンバーは足が速い、シュートが上手いなど何かしら「強み」があり、これは人生でも同じだと思い、グローバル化が進む今、重要なのは「英語」だと感じ、大学で英語を学ぼうかと思いましたが、大学に行っても、中途半端に遊んで、勉強はせずに、就活の流れでサラリーマンになってしまうのが見えていたので、大学には行かずに、1年間だけ海外留学で英語を学びながら、これからの人生について考える事を決意しました。
その時に一番、行きたかったのはイギリスでしたが1年で300万ほどの費用が掛かるという事だったので、安いところは無いかと探していた時に、1年で全てコミコミで150万円程度で行けるフィジー留学が目に留まり、南国フィジーに留学する事が決まりました。

メインアイランドはこんな感じではありませんが、ボートで少し離れたリゾート島なんかに行くと、こんな感じで、すごく綺麗な場所です。人口の半分がフィジー人、半分がインド人という国で、公用語として英語が使われていますが、なまりとか、英語の質はかなり低いです。hello、my name is 位の英語しか使えない人にはオススメですが。

こんな感じの人たちで、みんなムキムキですが、世界で一番やさしく、フレンドリーな人たちです。フィジー人にはケレケレという習慣があって、物を共有する文化があります。「俺のものはみんなのもの、みんなのものは俺のもの」もう少しでジャイアンみたいな感じで、机の上なんかに物を置いておくと、消える訳です^^; 洋服も消えます。街でたまたま会った、友達が自分の服を着てた事もありました。さすがに返してもらいましたが・・・そんな事があっても絶対に憎めない良い人たちばっかりでした。
もちろん、学校自体が日本人向けなので、日本人の友達もたくさん出来て、本当に勉強になりました。下は15歳から上は70歳くらいのおじいちゃん、おばあちゃんも留学しに来ている訳です。海外に留学しているからこそ、皆「留学生」として対等な立場で会話が出来、いろんな人の人生の話を聞きました。日本で会社をやっている社長もいたり、クビになった人もいたり、精神的な病気を治したくて来てる人、サラリーマンにうんざりした人、サーフィンしに来た人、みんな何かを変えたくて留学していた訳です。
もしも留学に少しでも興味がある人がいたら、連絡下さい。すごくオススメなので、いろいろアドバイスします。
19歳~21歳
約1年間、フィジーに留学し、ある程度の英語は話せるようになりましたが、まだまだネイティブと会話がスムーズでは無かった事+もっと海外を楽しみたいという思いで、オーストラリアに2年間ワーキングホリデーで滞在する事を決めました。2年間滞在する為には、3ヶ月の指定された仕事(農業、漁業、林業)をする必要があり、始めに6ヶ月のつもりでバンダバーグという場所へ行きました。

オーストラリアの右端です。バンダバーグはファームジョブの聖地?で農業の仕事をしにいろんな人が来ている街です。基本的には、バックパッカーズホステルに泊まって、仕事したいという事を伝えれば、毎晩18時頃にボードに誰々はXXXのファームですなどといった案内が出て、仕事がもらえる訳ですが。やっぱり英語が出来るヨーロッパ人が優先的に仕事をもらえて、英語が堪能ではない日本人は、仕事が週に1回だけなんて日もある訳です。このままだと3ヶ月働くという条件をクリア出来そうになかったので、どうにかしないと・・・・と思い、考え付いたのが、地元のサッカーチームに入って、活躍して、必要とされ、仕事をもらう事でした。
仲の良かったフランス人のルイスがサッカーをやっていると聞いて練習につれていってもらいました。彼に連れて行ってもらったのは良いのですが、背の小さい、華奢な日本人を見てみんなから、「サッカー出来るのか?」とバカにされましたが、コイツらはデカくてゴツいだけで、サッカーは下手くそだと感じていたので、特に気にせずプレーすると案の定みんな下手で、練習が終わった瞬間に、みんなプレーを認めてくれて友達になってくれ、監督も明日から毎日来い!!!絶対来い!!!と認められた訳です。
そして、その時監督にチームでプレーしたいけど、「仕事がないから、このまま見つからなければこの街を出て行かないといけない・・・」と伝えた瞬間に、チームのオーナーに電話して、そのオーナーが経営しているキュウリのファームで仕事をさせてもらえるようになりました。条件面も良くて、時給2000円で1日8時間、土日は休みで安定した仕事でしたが、実際に行ってみると、40度以上のビニールハウスの中で、キュウリを育てる為の土を交換する仕事でビニール袋いっぱいに入った10kgくらいの土を1日何百個も持ち運ぶ仕事だったんです。1日に水を6Lぐらい飲んでました。飲んだ瞬間に全部汗で出て行く感じです。昼過ぎになると暑くなりすぎて仕事にならないので、日が昇り始める朝の5時くらいから昼の2時くらいまでやってました。
結局、こんな感じの肉体労働を10ヶ月ほどやって、無事に2年目も滞在できる権利も得て、貯金も100万円ほど溜まり、30万キロ走っている中古のステーションワゴンを購入し、オーストラリア一周の旅が始まりました。バンダバーグからケアンズ→ダーウィン→エアーズロック→アデレード→シドニーで車を売って→飛行機でパース→レンタカーで左側を北上しオーストラリア一周を1年で達成しました。







21歳~22歳
2年間のオーストラリア滞在を終えて、始めは帰国するつもりでしたが、今度は物価の安い東南アジアの現状、生活を知りたくて、1年間の期限を決めて、まったく予定も決めずに、気分と出会った人で旅をする事を決めました。結局1年間で、インドネシア・中国・香港・マカオ・インド・カンボジア・シンガポール・タイ・ベトナム・ラオス・マレーシア・フィリピン・韓国を旅する事が出来ました。気に入った場所では1ヶ月くらい滞在したり、気に入らない場所では1週間くらいと本当に気の向くままに旅しました。
これだけ、何も縛られずに自由に旅すると脳がスポンジみたいになります。良くも悪くもありますが、今までは「絶対にありえない!!」と思っていたことを受け入れる事が出来るようになったり、柔軟に対応出来るようにもなりましたし、物事をいろんな視点から見る事が出来るようになりました。
旅でたくさんの問題に直面したおかげか、ちょっとやそっとの問題が発生しても、何とかなる!死ぬわけじゃない!と思える訳です。テレビやニュースで海外の悲惨な現状(争い、貧困、差別)を知る事が出来ますが、「実際」に体験したり、見たりするとその何百倍も胸が痛みます。彼らが直面している問題に比べたら、私たちの問題なんて本当に、たいした事無くて、先が見える幸せな問題だったりします。
旅で感じたこと
この4年、5年の旅で実感した事はたくさんありますが、ひとつ知っておいてほしいのは、「選択」があなたの人生を作ります。「選択」次第で、人生を好きなように出来ます。平日、朝8時から夜の19時まで働くサラリーマンをする!!と決めたのは、他の誰でもなく、あなたです。あなたが「選択」した結果です。「普通」「安定」「常識」を選択した結果です。雇われの身が「良い」「悪い」の問題ではなく、本当にそれで「幸せか?」というのが問題です。今やっている事に「幸せ」を感じたり、何かを学ぼうとしたり、次のステップの為であれば素晴らしいと思いますが、毎日毎日うんざりしてたり、生きがいを感じないのであれば、もったいない人生です。
何をやっている時が幸せなのか?どんな人生が理想なのか?どんな事を実現したいのか?を考え「経済的自由」「時間的自由」この2つがあれば全てとはいいませんが、ほとんどの事は実現出来てしまいます。この2つを手に入れる為に必要なのは、「自分で稼ぐ力」を身に付ける事です。ビジネスを学ぶことです。学校で数学を学んだようにビジネスについて勉強すればいいんです。「ビジネス」「起業」って聞いた瞬間に凄く難しい事・凄い人しか出来ないこと!って思うかもしれませんが、凄くシンプルで
「価値」「幸せ」を与えて「お金」をもらうだけです。
この基本中の基本を理解してなかったり、基礎が出来ていないとどれだけ応用を勉強しても、「強い」ビジネスは作れません。もしも「経済的自由」「時間的自由」を手に入れようとこれからビジネスについて勉強するのであれば、基本を大切にしてください。基本が出来ていれば応用が出来るようになり、2つの自由を手に入れる事が出来ます。
ビジネスストーリー
はじめで少し触れたように中学生の頃から小遣い稼ぎを自分でやっていて、旅行中も外注を活用し旅をしながら輸入ビジネス で毎月10万ほど稼いで旅の資金にしていました。そして22歳で日本に帰国し、本格的にビジネスを始める事を決意し、なけなしの10万円からスタートし、中国輸入→Amazonで開始6ヶ月目で月収100万円を達成。約1年で月収223万円を2014年1月に達成。2014年11月には株式会社フリームーブメントを設立。輸入ビジネス、WEBサイト運営・製作・マーケティング、ラーニングコンテンツ事業などをメインとしています。
PS
A4、1枚で収まるような薄っぺらい人生ではなく、濃い人生を作っていきましょう!気軽に感想、質問などのメッセージ送ってください。facebookのページでアルバムにたくさんの旅の写真を載せていますので、興味がある方はご覧下さい。少しずつ追加していってます。
