自己紹介&生い立ち




こんにちは、このブログを運営している元バックパッカーの中野と申します。ふざけたヘッダー画像とサーフボード片手に自由人アピールしてるプロフ画像を見てきっと「なんだこいつ?」ってなったと思いますので、自己紹介と生い立ちを書いていきます。

基本データ

5人家族の長男。ワクワクする事、新しい事にチャレンジする事が好きな自由人です。

名前中野翔太
生年月日1990年4月3日
血液型B型
出身佐賀県鳥栖市
現住所福岡県糸島市
身長172cm
体重68kg

性格

1年に1回くらいしか怒りません(海外留学するまでは、怒りっぽかったです)「良いっちゃない?」が口グセです。基本的にNOって言いません。思いついたら即行動。ダメ元でとりあえずやってみる。

完璧主義に近いので、何かを始めると目標を達成するまで、目の前にニンジンをぶら下げられた馬のように走り続けます。周りが見えなくなります。というよりも周りを見なくなります。一点集中型です。

趣味

サッカー、釣り、サーフィン、猫が趣味です。


似ている有名人、動物

渡部篤郎、照英、遠藤保仁、リス、サルとかよく言われます。

好きな有名人

中田英寿、小野伸二、ジェイソンステイサム、verbal、ladygaga、ティムフェリス

どんなビジネスをやってるの?

輸入販売、リピート通販、アフィリエイト、コンテンツ販売、システム開発、WEB製作、マイニングファーム運営、マイニング機器販売、投資などの事業を行っております。基本的に楽しそうな事は何でもやります。

飼っている動物

元々猫が嫌いで、今でも軽い猫アレルギーですが、2匹飼っています。

きなこ

こむぎ

好き嫌い

好き、嫌いがハッキリしています。基本的に好きな事以外はやりません。人間関係でも嫌いな人・合わない人とは関係を持ちません。自分が良いと思う人、好感を持てる人に対しては、自分の時間・お金・知識を出来る限り共有したいと考えています。

好き嫌い
サッカー、サーフィン、釣り、自由、旅、睡眠、肉、魚、音楽、ゆるい人、自分を持ってる人、家族、動物、車、仕事、投資、amazon、九州のご飯、コーヒー、可愛い女の子ギラギラしてる人、ガツガツしてる人、上から目線な人、馬刺し、レバ刺し、出来るのにやらない人、すぐに諦める人、ケチな人、しつこい人、草食男子、

生い立ち

幼少期(1990年~1996年)

泣き虫の負けず嫌いな甘えん坊でした。ゲームで遊んだり、サッカーばっかりやっていました。100メートルくらいある坂を目をつぶって、自転車で下まで降りれれば、クリア!!という無謀な遊びを発明したのもこの頃でした。今考えるとクレイジーですね。笑

小学生(1996年~2002年)

毎日サッカーばっかりやっていました。九州大会で2位になって「自分は天才だ!」と勘違いしてました。父、母の両親共に自営業という事もあって、将来は自分で商売をしたいという思いを持っていました。ビジネスには資金が必要だという事もわかっていたので、毎月500円のお小遣いとお風呂掃除30円、お皿洗い20円とかで追加のお小遣いをもらって、ビジネス資金を貯めていた事を覚えています。

 

少学4年生(2000年)頃にパソコンと出会います。たしか母が買ったwindows98だったと思います。回線もADSLで従量課金制とかだったので、長時間画像とか見るとすぐに1か月、数万円とかになって怒られてました。ウェブに無限の可能性を感じます。ヤフーの知名度が上がってきて、ホリエモンが有名になってきたくらいの頃です。

 

 

yahooのトップページこんな感じでした。検索するというよりも、ディレクトリに登録してあるサイトを見るという使い方がメインだったような。たしか中学生になったくらいで、検索するとまともな答えが返ってくるようになっていたと思います。

 

中学生(2002年~2005年)

サッカーもやっていましたが、ビジネスに夢中になります。クワガタが好きだったので、オオクワガタを飼って養殖して販売すれば、一石二鳥ではないか!と思い、小学生の頃から貯金してきたお金で、当時珍しかった、赤い目のオオクワガタのオスメスセットを10万円で購入して、養殖を始めます。もちろん、卵の産ませ方なんてわからないので、ヤフーで検索して調べながら無事に産卵まで辿り着きました。

 

サイズや形にもよりますが、当時赤い目のオオクワガタは、オスメスセットで10万円が相場だったので、単純計算で20匹産ませて10セット販売すれば、100万円の売り上げ。金持ちになれるやん!!と考える所までは良かったのですが、実際に羽化させた1年後の相場は1セット5万円くらいまで落ちていて、10セットでも50万円です。1年かけて、一生懸命育てたのに、利益が40万円。これは効率が悪い!と思い、この10セットに産卵させて、幼虫を売るスタイルに変更しました。

 

生まれたての幼虫1匹でも成虫の10%くらいの値段で売れていたので、2年目には、1年目に羽化させた成虫を使って、最終的に200匹くらいの幼虫を販売して100万円くらいの利益を出した事を覚えています。「可能性、未来を売る」という事を自然とやっていた事に関しては褒めてあげたいです。

 

情報ビジネスとの出会い

本屋でビジネスコーナーを見ていたら、「情報起業」という本が目に留まりました。情報が売れるのか!!という衝撃を感じましたね。この本を参考に、「オオクワガタビジネスで儲ける方法」というブログを作って、情報を1980円で販売して、ついでに赤い目の幼虫もセットで販売していました。資金がある大人であれば、このノウハウだけで、数百万円楽に稼げる時代だったので、1980円は良心的すぎましたね・・・・^^; 1980円であっても、情報が売れる!という事は衝撃的でした。

 

最近気づいたのですが、この本は、菅野一勢さんの本で、インフォトップ(ASP)を立ち上げた方が執筆していました。

海外ではインフォビジネスは既に盛んだったので、海外からノウハウを持ってきたんだと思いますが、さすが。といった感じですね。

http://amzn.asia/d/einxT4z

 

ねずみ講、ポンジースキームで全財産を失う

中学3年生になる頃には、オオクワビジネスと情報ビジネスで200万円くらいの資金になっていました。2005年頃、ねずみ講が流行っていて、12日間、毎日投資額の12%を報酬として受け取る事が出来る12dairyproというものに出会います。他にもたくさんHYIPサイトがあって、詐欺詐欺言われていたのですが、12dairyproだけは、本物みたいな雰囲気があって、最初に10万円投資して12日後には、実際に14万円まで増えたので、これは凄い!と思って、全財産約200万円ほどを12dairyproに投資しました。たしか1アカウント60万円の制限があったので、4アカウントで投資してたと思います。

 

これで、12日後には200万円×144%で288万円、その12日後には414万円、597万円、859万円!人生チョロイぜ!!なんてニヤニヤしていたら、全財産投資した3日後に、FBIが12dairyproの資産を凍結したのです・・・「資産を凍結されたオートサーフの12dailyPro その実態は“ポンジースキーム”か?

 

 

今、考えればすぐに破綻するシステムだとわかるのですが、失敗を経験した事が無い中学生は、あっさりと信じ込んでしまいます。これで一瞬にして200万円を失うのですが、不思議と「怒り」「不安」「悔しい」という気持ちが一切湧いてきません。恐らく、お金が無くなってもまた稼げば良い。という気持ちがあったからだと思います。

 

実は本のせどりも2005年にやっていた

Amazonのサイトデザインがこんな頃でした。今でこそ家電食品、車にお坊さんまで何でもamazonで買えますが、当時は本とCDがメインでした。たしかサイト内に、高額でAmazonが買い取ってくれるプレミア価格の本一覧表みたいなのであって、ブックオフで探して購入→Amazonに買い取ってもらう。みたいな事を1週間ほどやりましたが、なかなか本が見つからず、1週間探して1冊しか見つける事が出来なかったので、これは効率が悪い。こんなのやってらんねー!!となってすぐに辞めました。

 

今でもお店に足を運んで、商品を仕入れる「せどり」やってる人いますが、10年以上前の中学生時代に効率が悪いって事を実感してますし、今考えても効率悪いのでぜったいにやりません。笑 オオクワガタを養殖していたほうがよっぽど効率が良いですね。

 

高校生(2005年~2008年)

サッカーの特待生として福岡県の高校に入ります。ねずみ講で全財産を失った+学校・サッカーで帰宅は22時とかだったので、ビジネスは一切やっていませんでした。高校生活で学んだ事は、「努力に勝る天才なし – There is no genius that bests hard work.」努力するやつが勝つ。という事に限ります。

 

小学校、中学校、高校入学までは、九州でもトップレベルの選手だったのですが、とにかく努力する事が嫌いだったので、練習が終わるとすぐに帰っていましたし、朝練も残練もほとんどやっていませんでした、そんな中、「こいつ下手だなー」と思っていた真面目なやつは、朝練、勉強、練習、残練を毎日継続していて、気が付くと、その選手にポジションを奪われて、ベンチ要員になってしまっていたのです。

 

そこで初めて挫折を味わいます。やばい・・・と思った時には高校3年生になっていて、もうすぐ最後の高校選手権という時期でした。そこから朝練、残練を頑張りますが、時すでに遅し。スタメンに戻る事はありませんでした。そうして迎えた高校選手権、福岡の強豪高を倒して全国出場しますが、心の底から喜ぶ事が出来ず、複雑な気持ちでした。結局、全国大会でも出場する事が出来ず、ベンチから仲間が活躍する姿を眺めるだけで、涙が出るくらい悔しかったです(もっと頭を使って考えながら練習しとけば良かったなと後悔しています)

 

最後の試合は、負けて悔しかったのですが、負けた悔しさというよりも、試合に出てる姿を親に見せてあげれなかった悔しさ・申し訳なさが強かったです。試合が終わって母に「試合に出れなくてごめん。今までありがとうございました。」ってメールを送ったら、「頑張ったね!お疲れ様でした!これからの活躍も期待しています」といういつも通りの優しい母でした。この時に、俺は努力家になると誓ったのです。

 

※ちなみに高校選手権は、「大迫半端ないって」が生まれた大会です。大迫がいた鹿児島城西とは仲が良かったので、何回も練習試合をしましたが、怪物でした^^;後ろ向きのボールめっちゃトラップします。笑

 

高校サッカーが終わって進路を考えた時に、大学に進学するという選択肢もありましたが、大学にいっても中途半端に勉強して、サッカーして、遊ぶんだろうなー。と思っていたので、中途半端に勉強して遊ぶくらいなら、海外に留学して思いっきり全力で英語の勉強をして、思いっきり遊ぼう!と決心したのです。

 

フィジーに語学留学(2009年~2010年)

まず最初に思いついたのは、イギリスへの留学でしたが1年間で300万円くらいの費用がかかるのでパス。次の候補がフィリピンのセブ島かフィジーでした。どちらも1年間で全て込み100万円くらいで留学出来たので、悩みましたが、せっかくなら日本から遠く、異文化の南国フィジーに行ってみよう。という事で8か月の留学が決まります。

 

 

こんな感じの、ビーチ沿いで勉強したりココナッツジュースでも飲みながら金髪のお姉さんと英会話と称して、おしゃべりする毎日を想像していましたが、理想と現実は違います。実際の本島はこんな感じです。

 

 

普段はこんな感じの街で生活して、週末になるとみんなで、本島の綺麗な海に行ったり、離島に遊びにいったりしていました。もちろん、全力で遊んでいましたし、英語の勉強も全力でやっていました。

 

海パン、ネックレス、携帯などを “ケレケレ” される

ホームステイ先に滞在し始めて1か月くらいした頃に、お気に入りだったホリスターの海パン、ネックレス、携帯、Tシャツと次々に物が無くなっていきます・・・これが噂のケレケレか。ケレケレとは、フィジーの相互秩序という文化です。「おまえの物は俺の物、俺の物は、みんなの物」という日本では考えられない文化が存在していたのです。

 

ネックレス、Tシャツに関しては、ホームステイ先に遊びに来ていた、ホームステイ家族のいとこ?みたいな人が、かっこいいから!という理由で持って帰った事がわかりました。ま、いいや。ネックレスとTシャツに関しては、ケレケレさせてやろう。でも海パンだけは取り返したい!!めちゃめちゃお気に入りの一着だったのです。

 

海パンは帰ってこないのかな・・・と諦めかけていた時に、学校帰りにいつものビリヤード場に遊びに行くと、仲良かったフィジー人の友達が、俺の海パンを履いて、ビリヤードをしていたのです!!「その海パンどこで買ったの?」と問い詰めると、これ、お前の家の洗濯物干しからケレケレしたよ!めっちゃイケてる海パンだよね!!的な感じで、答えてきやがったのです。笑 そう。彼には、まったく悪い事をしたという認識が無かったのです。なぜなら、単にケレケレしただけだからです。

 

でもケレケレされた側としては、これだけは取り返したかったアイテムだったので、頼む!俺にもケレケレさせてくれ!とお願いすると、その場で海パンを脱いで、ケレケレしてくれたのです。人生初のケレケレは、自分の海パンだったのです。笑 最近は、ケレケレ=悪い事という認識が広まっていて、金目の物をケレケレする人は少なくなったそうですが、今でも田舎では、ケレケレが当たり前のように行われていますので、旅行とか留学でフィジーに行く方は、ケレケレにご注意を。

 

英語は上達したのか?

 

一番最初は、hello、my name is、thank you sorry apple  とかしか喋れなかったのでビギナーコースでしたが、卒業する頃には、インターミディエートとかまでレベルアップしていて、日常会話であれば、困らないレベルまで成長していました。学校で真面目に勉強していた+色んな人と英語で話す努力をしていた事が良かったんだと思います。

 

 

金髪のお姉さんを口説く事も、英語上達の一環です。笑 これは、遊んでいるのではなく全力で英語の勉強をしている最中なんです。実際には3分で会話のネタが切れるので、口説くには程遠い英語レベルなんですけど、「don’t be shy」恥ずかしがるな。の精神で、色んな人と英語を話すようにしていましたね。

 

色んな人と出会う

英語の上達以外には、色んな人と知り合う事が出来ました。広島の夜の帝王、大阪の面白い人、投資家、元学校の先生、美容師、70歳のお爺ちゃん、歌手、サーファー、バイクレーサー、元サッカー選手、くじらマニア、オタク、リンゴ農園の娘、格闘家、看護師、世界旅行中の人とか本当に色んな人と出会い、友達として同じ立場で会話出来た事は一生の宝です。

 

 

フィジー留学が終わったら帰国する予定でしたが、仲良くしてくれてた、うんこTシャツを愛用する大阪の人が誘ってくれた事もあって、オーストラリアにワーホリする事になったのです。人生何があるかわかりませんね。

 

 

フィジー留学が気になる人は、「フリーバード フィジー」で検索してみてください。この会社が運営している学校に通いました。オススメです。https://www.southpacificfreebird.co.jp/

オーストラリアでのワーホリ生活(2010年~2011年)

ここからは、ノープランの旅が始まります。フィジーからオーストラリアのゴールドコーストへ到着して、久しぶりの都会に浮かれます。先にフィジーを卒業してオーストラリアに移動していた友達と合流して、1か月くらいゴールドコーストを観光してファーム(農業の仕事)に行くという予定でしたが、オースに到着した翌日に、ファーム行きとなってしまうのです。

その原因が、カジノ

 

カジノ(ジュピターズ)の前を通った時に、「お前、今日なら勝てるぞ」というカジノの神様が話しかけてきたのです。笑 こんな声が聞こえてきたら行くしかありません。もちろん、カジノ初心者なので、ルーレットの赤か黒かの2択で勝負!この時の全財産は32万円

 

 

赤か黒。悩む。ルーレットの神様に聞こう。そして感覚を研ぎ澄ませると、「赤」という声が聞こえ、勝てば2倍になる赤に、30万円一括BET!心臓が破裂するのではないか?というレベルでドクン!ドクン!という音が聞こえ、全身に血が駆け巡ります。

 

赤、黒、赤、黒、赤・・・・60万円GET!!!!!!ルーレットの神様ありがとう!やっぱり今日の俺は無敵だ!もうひと勝負いこう!絶対に勝てる!という謎の自信がこみ上げてきます。次勝って、120万円になったら辞めよう。秒でカジノから逃げるぞ。

 

さっきと同じ赤に60万円BET!!!!!!先ほどの3倍くらいの勢いで心臓がバクバクします。赤・黒・赤・黒・赤・黒・赤・黒・・・・・黒。その瞬間に、ワクワクが焦りと恐怖に変わります。やばい。残り2万円。このままでは、死んでしまう・・・オーストラリアでホームレスなんて嫌だ。

 

そんな時、大阪のうんこTシャツを愛用するにいちゃんが「ほなバンダバーグいこか!」どんな時でも困っていたら手を差し伸べてくれます。こうして1万円で電車のチケットを買って、ゴールドコースト –> ブリスベンを経由してバンダバーグにファームジョブ(農業)をしに行く事になったのです。全財産は1万円。早く仕事を見つけないと飢え死にしてしまう。

 

仕事を貰えない日々が続く

バンダバーグに到着して、先にファームをやっていた友達の紹介で、ノースバンダバーグというバックパッカーズホテル(バッパー)に滞在する事が決まります。

 

 

バッパーが契約しているファームを紹介してもらって、トマトの収穫、芋ほり、ナスピッキングなどの仕事を貰うのですが、体が小さくネイティブ並みの英語を話せないアジア人にはなかなか仕事が回ってきません。雇う側の立場で考えると、英語でスムーズに会話が出来て、体もデカいヨーロッパ人のほうが良いですよね。

 

仕事が回ってきたとしても、雨の日に地面に這いつくばって種を植える仕事とか、出来高制の仕事とかヨーロッパ人が「今日は休むよ!!」って言うような日に回ってくる、めちゃくちゃキツい仕事ばかりでした。今考えると、漫画の「カイジ」的な生活だったような気もします。友達はたくさん出来たので、楽しかったですが、仕事はとにかくキツかったです。

 

 

給料日に飲むビールは最高でした。カイジ的に言うなら「キンキンに冷えてやがるぜ」でしたね。

 

地元のサッカーチームに入って、良い仕事を貰う作戦

バッパーから紹介してもらう仕事をやっていても、お金は貯まらないし、セカンドビザも取れずに、何の為のワーホリかわからなくなりそうだったので、地元のサッカーチームに入って、認められて、プレーする代わりに良い仕事を貰う作戦を実行します。

 

生まれてから18歳まで日本のトップレベルでプレーしてきたという自信もあったので、1年のブランクがあっても、オーストラリアの地域リーグなら活躍出来る自信がありました。バッパーから一番近い、イーグルスというチームに飛び入り参加させてもらいます。

 

最初は、なんだこのjapanese?って感じでボールが回ってきませんし、誰も話しかけてくれませんが、時間が経つにつれて、プレーが認められるとボールが回ってくるようになりましたし、「俺、jack」「俺、josh!よろしく」みたいな感じで自己紹介してくれました。

 

練習が終わると、監督が書類を持って走ってきてくれました!「お前、いますぐサインしろ!!」チームが必要としてくれたのです。ここですぐに契約しては意味がありません。「監督。俺、仕事が無いと日本に帰らないといけないんだ」と伝えると、チームのオーナーに電話してくれて、オーナーが経営している、ビニールハウス内での仕事を紹介してくれたのです。「毎日仕事出来て、ビザも取れて、時給2500円!サインするか?」答えはYES。その場でサインして、ローカルと同じ待遇で出来る仕事とサッカーチームを見つけたのです。

 

 

オーストラリアは、ラグビーが主流なので、サッカーのレベルはかなり低かったですが、とにかくみんなデカいので、相手に触れない事だけを考えてプレーしていました。この写真に写ってる人たちもみんな180くらいあります。

 

仕事、サッカー、パーティー、サーフィンの日々が1年間続く

平日は仕事して、週に2回サッカーの練習。週末は試合+サーフィン+パーティーという日々を1年間過ごして、100万円ほどお金が溜まったので、30万キロ走ってるホールデンのコモドアというステーションワゴンを買って、その中で寝泊まりしながら、オーストラリアを1週する度が始まります。

 

出会いに感謝




いつも陽気なフランス人、大麻のやりすぎで、手の洗い方を忘れたオランダ人、コメディアンを目指してるアメリカ人など、色んな人と友達になれた事は一生の思い出です。

オーストラリア一周の旅

時間も場所も決めずに、のらりくらりと旅をしていくのですが、旅を始めて半年で100万円ほどの貯金がほとんど無くなります。これが、Amazon販売を始めるきっかけとなるのです。

 

お金を貯めたいけど、もう農業はしたくない。中学生の頃みたいにネットで稼ぎながら旅をしよう。自分が海外にいても自動で回るビジネスを構築しようと思い、色々調べた結果、中国輸入→amazon販売を始める事になったのです。正直、当時は何を売っても利益が出るようなブルーオーシャン状態でした。

 

オーストラリアからネットで中国に発注–>日本のFBA納品代行業者–>Amazon–>お客さん、この仕組みを構築して、月に10万円ほどの利益を生み出していました。今でこそ月に10万円稼いだところで・・・って感じですが、当時の自分にとって10万円は旅をするのに十分な資金でした。

 

もちろん、全てがスムーズに進んでいたワケではありません。オーストラリアの街から少しでも外れると、ネットの回線が使えずに、顧客対応ができなかったり、「商品が発火した」などのクレームが入ったりと、様々なトラブルがありましたが、このビジネスのお陰で何とかオーストラリアを1周する事が出来ました。

 

バックパッカー時代(2011年~2012年)

オーストラリアで2年間のワーホリを終えて、アジアを旅するバックパッカーになるのです。この時も、Amazon販売で月に10万円ほど稼ぎながらのらりくらいりと旅をしていました。好きな国には3か月滞在して、嫌いな国は1週間で出国したりと、本当に自由な旅でした。バリ、香港、中国、インド、カンボジア、マカオ、タイ、ラオス、シンガポール、マレーシア、フィリピン、ベトナム、韓国、フィジーなどを旅してました。

 

 

 

2年程、のらりくらりと旅をしていたのですが、最後らへんは、遊び飽きて「本気で仕事したい」「本気でお金を稼ぎたい」と感じていました。仕事したくない!とか思ってる人は、今すぐ仕事を辞めて2~3年東南アジアで遊び続けると良いかもしれませんね!遊び飽きるはずなので!笑

帰国&起業(2013年~)

日本に帰国して、「これだけ恵まれた環境で好きなだけビジネスが出来る」と考えるだけで、ワクワクしていました。帰国時、資金は10万円だけでしたが、この資金を元手に、中国輸入amazon販売ビジネスでコツコツと雪だるま式でお金を増やしていき、10か月目には月商590万円まで到達していました。何か特別な事をやったワケではなく、シンプルに小さく儲けて、規模を大きくしていっただけです。

過去に販売していた「3ステッププログラム」の販売ページにも載せている実績です。ちなみに、今は販売終了していて、3ステップで書いていたようなノウハウは、無料でブログに公開しています。ブログの情報だけで十分に稼げるので、興味がある方は、全記事読んでくださいね^^

現在:糸島にプチ移住(2017年~)

地元が鳥栖なので、帰国後も鳥栖で仕事をしていましたが、結婚を機に2017年に福岡県の糸島市にプチ移住しました。車を運転して10分でサーフィンが出来る場所に行けるし、海も綺麗で食材も新鮮で博多も30分くらいで行けるので、理想の街です。

 

波があればサーフィンして、波が無ければ釣りが出来ます。こんなユルーい街でユルーい生活を送っているので、ブログもユルユルですが、同じ価値観を持っている人やお金を稼ぎたい方、同じようなライフスタイルを送りたい方の役に立てれば良いな。と思いこのブログを運営しています。

 

論文並みに長いプロフィールを最後まで読んでいただき、ありがとうございました。どんな内容でも良いので、コメントもらえると嬉しいです^^

気楽にいこうぜ!! Take it easy !!






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ABOUTこの記事をかいた人

Take it easy - 気楽にいこうぜ!人生1度きり。楽しんだもん勝ち。1990年4月3日生まれ、28歳。サッカー、釣り、サーフィン好き。18歳から5年間世界を旅するバックパッカーになり帰国後、10万円の資金で輸入ビジネスを開始、たったの6ヶ月で月収100万円達成。1年で総売り上げ8000万円超え、最高月商718万円。情報発信では、3ヶ月目にして月収100万円を突破。経済的/場所的/時間的自由を手に入れようとしている方や効率良くお金を稼ぎたいと考えている方向けにブログを更新しています。